代表 三輪雄彦ブログ 不易流行

三輪 雄彦
ネットフィリックスで 「ひゃくえむ」を 観ました
2026年2月8日(日)

今日は久々にほぼインドアで大人しく過ごしました。

日曜はバンドか、登山か、ゴルフか…みたいな感じ

もしろ何も予定を入れてない日が無いようにすることを目指して予定を組んでいます。

 

もう腰痛の状態ももう少し、雪もチラついてるし

っということで、食卓でギター弾いたり、ブログ書いたり、本読んだり

ってことでネットフィリックスで 「ひゃくえむ」を 観ました 。=100ⅿ

 

――100mとは、いったい何だったのか?

この映画で最も印象に残ったのは、

ラストのレースで“誰が勝ったのか”をあえて描かなかった点でした。

正直、なんで見せない!?と思いましたが

時間が経つほどに、その意味が腑に落ちてきます。

もし勝者を明確に示してしまえば、

「勝った人=正しい」

「速い人=価値がある」

そんな単純な物語になってします。

でもこの作品が描きたかったのは、そこではない。

100mは、距離ではなく“意味・意義”だった

同じ100mを走っていても、

そこに込められた思いは人それぞれ違う。

・誰かに認められたくて走る人

・過去の自分を超えるために走る人

・逃げ続けた人生に決着をつけるために走る人

同じ100mなのに、背負っている“人生の距離”はまったく違う。

だからこそ、勝って負けたという一つの答えで終わらせなかったのだと思います。

100mの意義は他人が決めるものではない!

 

観た人それぞれが答えを出す映画

この作品は、答えを提示しません。
だからこそ、観終わったあとも心に残る。

これは100m走の映画ではなく、

人生の向き合い方を静かに問う作品でした。

答えは一つじゃない。

それでいい。

いい映画です。